アナログ機器で地デジが見れる

アナログ対応のTVやDVDレコーダーで地デジが見れるの知ってますか?
いやぁ、ぼくも今まで知らなかった。
地デジに切り替わって、大分経ちますが、当初からもう写らないはずの機器でちゃんと写るのが不思議でした。
ぼくは、3台のレコーダーを古いソニーのハイビジョン対応のテレビに繋いで使っていました。

地デジ対応処置として、CATV(ケーブルテレビ)に加入しました。その時について来るデジタルチューナーで受信し、これをレコーダーにライン入力して録画する。このやり方を目論み、新しい機器を購入しないままでやっています。
ところで、このやり方だとそれまでの地デジチューナーの入っていないDVDレコーダーでは、受信や録画は出来ないはずだったのです。
ところが、ちゃんと受信も出来るし、録画も出来る。どうも納得できなかったのですが、出来るんだから文句ないではないかと今まで過ごしてきたのです。
それが、いま理由が分かりました。
平成22年3月 総務省情報流通行政局 地域放送推進室のサイトを見て下さい。
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北杜夫の『白きたおやかな峰』

 プログに書くことになって、本棚を探し、『白きたおやかな峰』を引っ張り出した。
 いまは長い年月の末に赤茶けているけれど、かつての純白のハードボックスは、その強固さをいまも保ち、ずっしりとした手応えのある書物である。
 ボックスの裏の右下角には、ちいさく¥490とあった。
 この本の出版は遠征の翌年1966年である。今の値段にしたらいくらになるのだろう。興味を覚えて、物価指数やら大卒の初任給の推移などから計算してみたところ3700円となった。
 箱から取り出すと、まずビニールシートに覆われてカバーがある。カバーには有名版画家畦地梅太郎の版画があった。

 カバーを外すと、ライトブルーの布の硬表紙が現れる。どちらかといえば小さめの活字で、つつましく銀色の文字で「白きたおやかな峰」が刻印されている。

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北杜夫ドクターのこと(承前)

 ドクター死去の報を知ってから数日が経った。報道でそうしたことを聞くと、いろいろなことが思い出されてきた。
 前の稿に書いたとおり、ぼくは46年前の1965年、パキスタン(当時は西パキスタンだった)のカラコルムの未踏の高峰・ディラン峰に遠征した京都府山岳連盟隊の最年少隊員だった。
 北杜夫氏は、隊付きのドクターだった。だからぼくたち隊員は、彼のことをドクターと呼び、仲間内では「キタモリさん」あるいは「きたもり」とよんでいた。
 常に接触するようになったのは、やはりベースキャンプに入ってからだった。常にとつとつと喋り、なんとも言えぬ誠実さを感じさせるような人柄に思えた。
 印象的だったのは、彼が胸ポケットに収めている手帳に常にメモを取っていたことだった。ポーターとのやりとりなどで大笑いなどしていると、すぐやってきて「なに、なにが可笑しいんですか」と聞き、胸ポケットの手帳を取り出した。こうしたメモは、けっこう膨大な量になったと思うし、それだからこそ、あの名作『白きたおやかな峰』が生まれたのだと思う。
 登山遠征隊の活動が各隊員の個性や性格を浮き彫りにしながら、ここまで活写された文学作品はおそらく他にはないと思われる。
 テープレコーダーでもあったら別であるが、あれだけの細かな描写は、メモによるものだと思う。これは、本が出た直後に思った感想である。
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北杜(北杜夫)ドクターの死

友人がSMSで報せてきて、キタモリドクター(北杜夫氏)の死を知りました。

 ぼくが、最初の海外遠征隊としてパキスタンに行った時のドクターでした。それは1965年のことで、まだ外貨もままならぬ時代でした。
27才のぼくは、京都府山岳連盟派遣のカラコルム・ディラン峰遠征登山隊の最年少隊員として選抜されました。
当時は海外登山は大変なビッグイベントだったので、隊員発表が行われるとすぐに新聞記者が自宅にやってきたほどでした。ぼくは、先遣隊として、本隊より3ヵ月前にパキスタンに向かい、カラチに滞在しました。

小谷隆一隊長は、この前年まで日本青年会議所の会頭を務めた財界人で、東大山岳部のOBでした。北杜夫ドクターとは、旧制松本高校の同窓の友人でしたから、ドクターとしての参加を頼んだのです。
北杜夫氏は、有名な歌人斎藤茂吉の子供で、ドクトルマンボーとして、軽い読み物作家として知られるようになったようです。
ちょうどその頃、斎藤茂吉家をモデルにした大作『楡家の人々』を世に問うたばかりでした。
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Macを創った人たち

スティーブ・ジョブスの顔にも少々見飽きてきました。
主に使っている、ちょっと型遅れのPowerBook G4(Titanium)を立ち上げると、毎回スティーブ・ジョブスの顔が現れます。もういいわという気分になっています。
彼の死が悲しかったし残念だったのは確かなんですが。(と書いていたら、2週間続いたこの写真ディスプレーも、ようやくiPhone4Sに替わりました)

息子がSMSで「スティーブ・ジョブスが死去。なんという喪失感」と報せてきて、彼の死を知りました。病気が軽くないのは知ってましたから、意外ではありませんでした。でも、なんでジョブスなんや。ビル・ゲーツでも良かったのにという密かな思いが頭をよぎったのです。ビル・ゲーツが死んでも残念だとは思わなかったのではないかと思います。

Apple社を作ったのは、2人のスティーブです。スティーブ・ウォスニアックとスティーブ・ジョブス。
この二人の名前を挙げた時に、同時にぼくの頭に浮かぶ名前は、アラン・ケイであり、ジェフ・ラスキン、ビル・アトキンソン。
これらの人が、今のパソコンを作ったのだと思っています。これらの人はみんな天才です。

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葉巻の愉しみ

タバコ吸いはどうも肩身の狭い感じのする昨今ではありますねぇ。
野田内閣の閣僚のおばちゃんが、皆さんの健康を守るためです・・・などと発言したので、「そこまで言って委員会」でざこば師匠は怒りました。
「人のことはほっといてくれ」

ガキだった頃、大人が吸う煙草に興味があったんでしょう。田舎のるり渓で、ぼくは祖父さんの刻みたばこを盗み出し、悪童の友達と二人農機具小屋に隠れてキセルを吹かせたことがありました。
直ぐに、頭が痛くなり吐き気に襲われました。その悪童の連れは「水に入ったら直る」といって駆け出しました。二人でそばの川にフリッチンで飛び込みました。

こういう初体験があった所為なのかどうか、高校でも大学でもタバコはやらなかった。
高校の頃、喫煙検査なるものがありました。先生がリトマス試験紙みたいな紙切れを渡し、みんなに舐めさせます。色が変わったら喫煙している証拠です。
検査になると、廻りのクラスメイトが一斉に紙をぼくに渡します。素早く舐めて返します。そんな舐め屋みたいなことをやっていました。

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『サンデルよ、「正義」を教えよう』を読んで

サンデル教授の「白熱教室」がけっこう人気を呼んでいるようです。
先日の「木曜ミーティング」でも、何度か話題に上がりました。

話が横道にそれるのですが、この木曜ミーティングについて説明したいと思います。
これは、今に至るまでもう25年近くも続く集まりで、毎週木曜に集まる。
その頃は、当時やっていた会社で夜開かれ、京都府の運転免許証管理システムをコボルで書いた警察官や有名電機企業のプログラマーなどプロフェッショナルを含む20人近くが参加していた。

当時は、まだDOSの時代で、Pascal(TurboPascal)というコンパイラー言語を使って、WISWIGをどう実現するかなどの研究をやっていた。
たとえば、画面にキーボードの絵が表示され、そして線書きの手が表示される。あるキーを押すと、画面上のその指が、そのキーに動くというようなコードをどう書くか。などとゆうようなことに熱中していた。参加者も熱心で、夜半を過ぎても終わらないことも多かった。

やがて、ウィンドウズが発表されると、テーマはOOP(Object Oriented Programing)(オブジェクト指向プログラミングのことで、ウープと読む)に移った。主催者兼講師のぼくは大変で、ウープの講座を求めてアメリカ、イギリスと転々としたものだった。
この集会は、今も同じ木曜日に開かれているが、もう勉強会ではなく、四方山話をするサロンとなり、参加者も数名になった。
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プチ断食その後、明らかな変化が

前に書いた通り、あのプチ断食を行ったのは、8月22日のことでした。それで、その後どうなった?
もう一ヶ月以上経ったので何らかの報告をしないといけないと思っていました。
そしたら、ぼくがダイエットを秘密でやっているという噂が流れているという話です。
「高田センセ内緒でダイエットしたはるらしいよ。女の子みたい」
ぼくは、ダイエットをしているつもりはほとんどありませんでした。
断食後、炭水化物をまったく摂らないように心がけただけです。
でも、明らかな変化が起こりました。

おやつが欲しくなくなりました。それまで夜中におやつを食べるのがけっこう習慣化していたのです。夕食の後に、好物の豆餅などを食べるのが常だったのに、そうした甘いものを食べなくなった。
たまに、口が寂しくなる時もあって、そんなときは「これも炭水化物なんや」と思いながら、ビーナツの混じった柿の種の小袋を食べることはありました。

どんなものを食べていたかって?
まず朝食といっても、起きるのは昼頃ですから、ブランチなんですが、スープとお豆腐の冷や奴、それに生野菜のサラダ。
夕食は、牛肉や鶏肉。牛肉はランプをステーキやカルネクルード(イタリア風に出刃で叩いてミンチにしてオリーブオイルをかけて食する)にする。

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