信じられないパシュトーン人との邂逅

 さきの花金の夜、ぼくは行き付けの祇園の「葵」に出かけました。
 ここのバーテンのI君とはちょっとした因縁的ないきさつがあって、東京からこちらにやってきたのです。
 もともと彼は汐留のシティーセンター・ビル最上階のバーでバーテンをやっていました。その頃、よく泊まっていたホテルの近くだったので、ぼくはたびたび出かけることになって、夜景を見下ろしながら明け方まで話し込むこともあったのです。大学には行かず大工の見習いの後自衛隊の経験もあるという折り目正しいこの青年の話を聞いて、ひょっとしたら日本の教育は人間を駄目にするのではないか。そんなことをぼくは思ったりしたのでした。
 そんなことで、修学旅行以来いったことのない京都に行きたいと言い出し、我が家に数日滞在しました。彼の主目的は山崎のサントリー工場の見学だったようですが、京都や奈良も案内したのです。
 その時はちょうど「都をどり」の時期だったので、これも見に連れて行きました。
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乗馬の愉しみ(1)

受付で予約してあるレッスンでの馬匹名を知らされる。

受付で予約してあるレッスンでの馬匹名を知らされる。

 受付で乗馬料と保険のチケットを渡し、指定された馬・ブラックゼウスのいるC厩舎に向かっている時、アナウンスが流れた。
「まもなく、チャイムが鳴ります。追悼のため1分間の黙祷をお願いします」
 そうだった、今日は3月11日だったと気付いた。後で聞いたのだが、東北の厩舎でも多くの馬が溺死したのだという。
 チャイムが鳴った瞬間、みんなはそれぞれの場所で、それぞれの作業を止めて、黙祷した。手を合わせている人もいた。
 急に信じられないくらいの静寂があたりを支配した。耳を澄ますと、近くで馬の息づかいだけが聞こえ、遠くの方で馬のいばり(尿)の音が微かに聞こえていた。
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先進国の若者ムスリムはなぜ「イスラム国」に向かうのか

 アメリカが本気になったようなふりをして、少しだけ「IS」いわゆる「ムスリム国」討伐に力を入れるようになっても、「ムスリム国」を目指してシリアに向かう若者は一向に減る気配がない。
 一体どうしてなんだろう。しきりに貧困がその原因だといわれているようだ。でも、ほんとにそうなのだろうか。そうした若者たちの出発国は、欧米を始めとするかなりの先進国なのだ。
 なぜなのか。その理由に関しては、様々な見解があるようだ。
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世界の各国が見た「大東亜戦争」

 前稿で、大東亜戦争に関して、「独立を助けられた国々の元首は、それぞれに感謝をこめての評価のコメントを残しています。」と言及し、一例としてトインビーの大東亜戦争への論考のみを揚げました。
 ぼくが、大東亜戦争にこだわるのは、日本の戦後を考えるというだけではなく、これからの日本、あるいは「この國」のあり方・國のかたちを考えるには、この世界史を変えた戦いの正当な認識なしには、正しい判断が出来ないと思うからです。
 戦後の日本に流布されたのは、当時最も権威あるものと信じられていた発信元である(恥ずかしながら、ぼくもそう信じていた)NHKと岩波書店からのものでした。
 そして、その内容はすべて「あの戦争は間違っていた」そして「アジアを侵略した」「アジアの民に苦しみを与えた」というものでした。それが全くの誤りでないにせよ、別の見方なり、反対の見方も併置、検証されるべきでした。しかし、そうはされず、それは、極端に一方的なものばかりでした。
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大東亜の動乱

 今日のテレビの番組でザ・プロファイラー「なぜ殺し合いは起きたのか?ポル・ポト 姿なき独裁者」というのを見ました。クメール・ルージュやポル・ポト、あるいはキリング・フィールドなどなどこの事件を扱った番組は数多く、いくつも見ています。
 しかし、その凄まじさに改めて驚きました。世の中「イスラム国」で大騒ぎしていますが、わずか3年間ほどで100〜200万人というその規模からいってもそんなものではない。さらに驚いたのは、当の首謀者のポル・ポト(本名サロト・サル)が、ことが発覚した後も終始にこやかで、70歳でなくなるまで、そんなに多くないでしょうとその大量虐殺を認めなかったことでした。
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建国記念日に想う

 今日は日本の祝日・建国記念日の日です。
 昨夜の夜半、明日はこの建国記念日についての報道がなされると思って、DVDレコーダーで番組検索をやったのですが、一つも出てこなかった。
 これは一体どうしたことなのかと思ったのでした。
 建国記念日は言ってみれば、日本国の誕生日です。だから祝日なのだと思います。それについての番組が全くないというのはどういうことなのか。
 録画していたミヤネやの報道番組では、アナウンサーが「きょうは祝日ですので・・・」というくだりがあって、やはりこれは意図的に建国記念日と言葉自体をパッシングしているのではないか、そう勘ぐってしまったのです。
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「イスラム国」、この一知半解なるもの

 ISILという名前で呼ばれ、我が国では「イスラム国」と呼ばれる国家形態をとるテロ集団が起こした、2名の日本人人質拘束事件は、予期した通りの悲劇的な結末で終わった。
 世界一平和な国で、70年の永きに渉って戦争をせず一人も人を殺していないなどと誇らしげに唱える人をなるほどと思い、お金こそすべて、お金があれば何でも出来ると思い込んでいる多くの日本人に取っては、まことにショックな事件だったといえる。
 バカな戦争をして負けたけれど、大いに反省しているし、謝ってもいる。武器は捨てたし、どこも攻めようとしていないのだから、どこの国へ行っても敵対する人はいないだろう。もし日本がヤバくなったら、安全な他所の國にお金を持って逃げればいい。そんなことを考えていた守銭奴みたいな日本人は、大変だ、どこに逃げても狙われると焦ったかも知れない。
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イスラム国(ISIL)人質事件に思う

 ISILの人質となっていた後藤さんは、通例とは異なる事態進行によって、一縷の望みを持たされることがあったものの、殺害という悲劇的な結果に終わりました。一縷の希望が見えてきたと思っていた矢先の最悪の結末にショックを受けました。
 ネット上での見解で、最初の動画での後藤さんのまばたきはモールス信号であって、「ミステロ」「タスケルナ」と読めるというのがありました。それがほんとなのか、あるいは深読みし過ぎの見方なのかは判然としません。しかし、そうした見方ができるということは、彼がいかに毅然としていたか、臆することなく従容と死におもむいたかを示しているといえると思うのです。
 首を掻き切られた彼は苦しむことなく逝ったと思います。これはラトックI遠征時に、ベースキャンプに連れて上がった羊を、コックに頼まれて二人で屠った二度の経験から推測できることです。
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案じられる後藤さんの命(無人攻撃機に殺られる)

 ISIL(イスラム国)とヨルダン政府との人質交換交渉は進展のないまま推移しています。
 ISILからの最後の文書と音声による通告で場所(トルコ国境)と日限(日没)と指定された時、ほとんど絶望的になったのですが、その後なんの連絡もないまま推移し、安堵の胸をなで下ろしました。
 ISILのサジダ・リシャウィ死刑囚の解放に対する後藤さんの解放を伝え、従わない時にはパイロットのムアズ・カサースベ氏をまず殺害し次いで後藤氏を殺害すると伝えました。追いつめられたヨルダンは、サジダ・リシャウィ死刑囚は解放するとしましたが、その前にムアズ・カサーズ氏の生存確認が必要だと対応しました。
 その答えがないまま、時間が経っています。
 かりにパイロット・ムアーズの生存が確認されたとしても、ISILはムアーズを返すとはいっておらず、殺さないとしているだけだから、後藤氏だけが解放され、ムアーズ氏が還ってこないのでは、ヨルダンは納得のしようがない。
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一番あって欲しくない結末へ

 日本人人質拘束事件はどんどん最悪の結末に向かって進行しているように感じられます。
 この事件に関しては、テレビの報道番組に多くの専門家が登場し、それぞれの意見を語っています。
 ぼくは、この事件が発生して以来、ほとんどすべての番組を録画し、そのコメントや見解をウオッチしてきました。それらを総括していえることは、政府関係者の口はだいたい重い。遠い人ほどぺらぺらしゃべり、少々的外れと考えられることも多いように感じていました。
 この事件は、ISISが突如二人の日本人に72時間以内に2億ドルの身代金を払わなければ殺害するという予告をするという動画をYouTubeに揚げたことから始まりました。
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