iMacの新調

 家内のiMacが不調をきたした。
 この現在のマックのデスクトップは2007年に買ったもので、マックのCPUがモトローラーからインテルに変わったときのものだが、システムのバージョンアップには限界があり、OSX10.7のライオンが限度で、10.8のマウンテン・ライオンはもちろん、現行のマーベリックスに上げることは出来ない。

「ボンダイブルー」(ボンダイはオーストラリアにあるビーチの名から取ったと言われる)と称されたカラーの初代iMacは、箱形をしたベージュ色のコンピューターを圧倒した。

「ボンダイブルー」(ボンダイはオーストラリアにあるビーチの名から取ったと言われる)と称されたカラーの初代iMacは、箱形をしたベージュ色のコンピューターを圧倒した。

 我が家には何台ものマックのデスクトップが、もう使うこともなく陳列状態である。
 ここで、名目上家内用としてのデスクトップの変遷を述べてみよう。
 ぼくが、家内に最初に買い与えたデスクトップは、l998年発売の有名なマックで、色は独特のブルーだったが翌年には5色の各種カラーのものが発表され、これは1999年度グッドデザイン賞金賞を受賞した。
当時はまだメールも一般的ではなかったし、家内は使うといっても用途は限られたもので、使うソフトもエクセルだけといってよかった。
 彼女は、エクセルだけしか使えず、本来の計算ソフトとしてだけではなく、ワープロや宛名印刷までなんでもかでもエクセルでこなす特技を持っているというのが、ぼくの弟子たちの間でもでよく知られた事実だった。
 エクセルには、データベース機能が充分でないので、ぼくが4Dというデータベースソフトで書かれた『AS会計』というソフトを薦め、以後バージョンアップを続けながら、このあまり人に知られないソフトで税務管理などもこなしていたが、さすがに現在のマックのOSには対応していないようだ。
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WindowsでPascalを走らせる

急に思い立って、Windowsでパスカルを走らせてみようとしたんです。
パスカルというのは、まだウインドウズが出る前のDOSの時代のプログラミング言語でした。
その頃、もう30年以上の前のことですが、いわゆるパソコンが現れました。PC98などといわれたパソコンは、ソフトなどは備わってなくて、何かをしようとすると、内蔵されているBASICという言語でソフトを作らないといけませんでした。
BASICという言語は、取っ付き易く手軽に遊びのようなソフトは作れるのですが、きちんと構造化されたソフトやオペレーティング・システムなどを作ることに向いていません。
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ぼくの呪われたWindowsPC

MacのOSがMarvericksに変わって、しばらく経ちました。OSが変わるといろいろ問題が起こるのは普通のことです。今回はIPhoneとMacのiCalとの同期に問題が起こりました。このことは、先頃のこのブログの「Mac OS X Mervericks (OSX10.9)の改悪」にも書いた通りです。
このことに関しては、AppleCareサービス&サポートラインに連絡すると、メンテナンス担当の人が対応してくれるのですが、順に上にタッチしてゆき、そして最後にスペシャリストと称する人になりました。
こういう人は、内線に自分直通の番号を持っていてダイレクトにつながります。ケース番号という9桁のコードで問題の内容が記録されている仕組みです。この番号を伝えておくと、先方より電話が掛かってきます。
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Mac OS X Mervericks (OSX10.9)の改悪

このブログを書くのに多用しているMacのPowerBook proのOSシステムをMountain Lion(OSX10.8)から最新のMarvericks(10.9)にバージョンアップしたら、危惧していた通りの不具合が起こった。 iPhoneのカレンダーのデータとの同期ができなくなったのだ。同期はiCloudを経由してやれということらしい。 訳が分からんという人もおられるかも知れないので、少々説明することにする。

iPhoneというのは、ご存知の通り今はやりのスマホ(SmartPhone)である。カレンダーというのは、このiPhoneに装備されているソフトで、日々の予定・行動などを記録するものだ。
このソフトは、マック上にもあって、相互にデータのやり取りができるようになっている。最近では、PCいわゆるWindows上にも載っていて、スマホとマックとウィンドウズなど三者間でデータのやり取りができるようになっている。
このデータのやり取りのことを同期と呼んでいる。同期は基本的にはUSBケーブルを使って行うことになっている。iCloud(アイクラウド)については後に説明する。
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自作PCの故障と回復の日々

自作PCのメイン。中央に青く光るのが巨大なCPUクーラーのファン。

自作PCのメイン。中央に青く光るのが巨大なCPUファン。

 久しぶりに、2週間ぶりに8時間爆睡しました。
 実は2週間ほど前、愛用の自作PCがダメになりました。その少し以前から時折、突然電源が落ち、再起動するという現象が起こっていました。
 一昨年の夏には、繰り返して瞬断が起こり、これはCPUのクーラーを巨大なものにして解決していました。でも、今回はCPUのオーバーヒートではありません。CPUチェックのソフトで調べると40℃前後を保っていました。電源も大丈夫なようです。
 Biosのセットアップメニューでチェックすると、メモリのクロックがillegalという赤字のWarningのメッセージが出ていて、CMOSクリアーでOvercomeできると知らせていました。
 それではと、マザーボードのボタン電池を取り外して新しくしたり、電極をショートさせたりと面倒な作業を仕方なくやったのですが、なんの効果もありませんでした。
 メモリーボードは、4ギガのものが2枚入っているのですが、これに異常はないようです。
 3日ほどかかって、なんの解決の手段も見つかりません。原因がわからないのですからどうしようもないわけです。考えられるのマザーボードのどこかが壊れているということ以外には考えようがない。
 このマザーボードは、GIGABYTEという名の通ったメーカーのものなんですが、3年前に買ったとはいえ、その時もっとも古いモデルを選んだので、今はもう売ってありません。
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バンコックでの大失敗〜ブログの消失〜

バンコックのFourSeasonsHotelに投宿して3日が過ぎた。
昨日の喜寿のパーティも終わり、参加してくれた人たちは、数人を残して三々五々に帰国の途についた。
夜半を過ぎるまで、シガーを吸いながら、サトー君と自室で話をしていた。タイでも法律で喫煙が禁じられたので、禁煙でない自室でしか、シガーを楽しむことが出来ない。
彼の癌の基礎医学的な研究について、いろいろ質問して話を聞き、彼も熱中して話しているうちに時間が経ち、「帰って仕事しないと」と、彼は部屋に帰った。もう1時近かった。
ぼくは、着いた時から書き始めている<葉巻のけむり>の原稿を書き足そうとして、机に向かった。
旅先ではよくあることなのだが、軽率にシステムを触って失敗する。この時も、あまり考えずにこの間から出ていたInternalErrorという別段支障のないエラーを直すつもりで、フェースブックのプラグインをアップデートした。
すると、Fatal Errorというのが出て、WordPressが立ち上がらなくなってしまった。
これを直すべく、いろいろやっているうちに、どう間違ったのか、データが消えてしまった。
参った。全身総毛立つようなおののきだった。どうしようと思い、いろいろやってみたがどうしようもない。ともかく日本に電話した。
ぼくが使っているレンタルサーバーは24時間のシスセム・サポートがあって、相談に乗ってくれる。この際、電話代がかかるなどということは問題じゃないと思えた。
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日暮修一氏の訃報を聞いて

小学館に勤める知り合いがFacebookで日暮修一さんの訃報を伝えてくれた。
日暮修一といえば、ビックコミックの表紙絵で有名な画家で、『なんで山登るねん』の三部作、正・続・続々の三冊の表紙の絵も彼の作である。
正編が出るとき表紙の絵を頼みに行った山渓の節田さんから、値段を聞いたらえらく高かったので「すみません。お願いします」と手を合わせたら、一気に10万安くなりました、と聞いた。この表紙絵代金は印税から差し引かれるということだった。だからその原画は後に貰ったはずで家のどこかにあるはずだ。原画と言えば京都新聞に連載した『いやいやまあまあ』の挿絵を描いた山本容子さんのエッチングの原画も一枚だけ頂いた。これも家のどこかにあるはずだ。

日暮修一さんに会ったことはない。節田さんから脚が少し不自由だとか聞いたような気もするけれど、全く別の人の話だったかもしれない。
どんな人だったのだろうと、気になってグーグってみた。「日暮修一の画像検索結果」をみると、彼の作品が多く上がっていた。
おっと驚いた。知ってる写真があった。それは『Oh!PC』1985年新年号の表紙で「ボクの夢のパソコン」という特集が組まれているものだった。ぼくも「パソコンが作家になる日」と題するエッセイをものしている。さらに驚いたのは、この写真に続いて「パソコンが作家になる日」の挿絵があったのだ。
へぇ〜、あの挿絵は日暮さんのものだったのか。描いた人の名前の記載はなかった。あれば絶対に気付いていたはずである。日暮さんはあのビックコミックの表紙みたいな絵だけではなくて普通の絵も描いていたのだ。全く知らなかった。長い間知らなくて申し訳ないような気になってきた。

そこで、このカットを含んだぼくのエッセイ「パソコンが作家になる日」を<高田直樹ウェブサイトへようこそ>から転載することにした。

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アホな翻訳ソフトのことなど

きょうの6チャンネル「モーニングバード」、もちろん録画で、を見ていたら笑ってしまうニュースを報じていた。
国土交通省・観光庁が開設管理するHPの観光博外国語版に数多くの珍奇な誤訳が見つかったという。
冒頭の部分の<ブルーメッセあきた>(これは道の駅の施設名)は、なんと「ブルーメッセ飽きた」Blue Messe got tiredとなっている。
「(石川)啄木」はwoodpecker(啄木鳥)。「軽トラ」はlight tiger(軽い虎)。
凄いのは、「かまくら行事」が、Mosquito event to use as a pillow(枕に使う蚊の行事)、えぇーと驚いた。

でもこの分解力はなかなかのものである。か・まくら・行事と分解した訳である。それで、急に思い出したことがある。昔話になるのだけれど、最初にぼくが作った営業用のソフトは、東山の有名料亭の献立管理ソフトだった。このソフトでは、懐石の献立を入力する。
この作業を手伝ってくれていた傍らの女性が、とつぜんけたたましい笑い声をあげた。その適齢期を過ぎんとする女性が「松葉かに蒸し」を出すべく「まつばかにむし」と入力したら、そのフロントプロセッサーは「待つ馬鹿に無視」と変換したのだ。もしかしたら、彼女は自分のことを笑われたと思ったのかもしれなかった。
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パキスタン大使館昼食会と大阪のシガーパーティ

前稿で書いた通りパキスタン大使からの昼食会の誘いがあって、東京に赴いた。しかし、翌日には以前より予定されていたシガー・クラブ主催のシガーパーティーが予定されており、東京で一泊して翌日大阪に戻るという日程になった。
パキスタン大使館は以前とは違った新築の建物となっており、大使もスタッフも知らない人ばかりになっていた。
パキスタンのスタッフは、以前は各国大使館が蝟集する広尾界隈に済んでいたが、このビルが出来てからは、その中に住むようになり、それだけで年間1億円の経費削減になったと聞いた。

ナジール・サビール

8時半頃の新幹線で東京に向かい、大使館には11時半に着いた。招かれた18名のゲストは、もうみんな集まっていた。大使のヌール・モハメッド・ジャドマニ氏と副大使のサイード・アリ・アサド・ギラニ氏の挨拶を受け名刺交換。ゲストの中には数名の顔見知りもいて、懐かしく挨拶を交わした。
すぐに全員テーブルに付き昼食会が始まった。大使発声の乾杯と挨拶、メインゲストのナジールのスピーチがあり、その後全員が、自己紹介のスピーチを行った。数名の日本語のものもあったが、ほとんどは英語のスピーチだった。
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百名山に登る意味って何です?(1997.1.1)

なんで山登らへんの 第21回 1997.1.1
体験的やまイズムのすすめ

 高校生の頃、定期試験の前になったりすると、決まったように無性に本が読みたくなったりしました。
 かっては全然面白くなかったので、途中でほっぽりだしたものであっても、不思議なことにこれがやたら面白くて、止められなくなる。
 困ったぼくは、試験期間中は、押入の上段に机と試験科目の教科書と参考書だけを持ち込んだものでした。
 不思議なことに、この連載原稿の締め切り間際になるといつも決まったようにぼくのマックが不調となるのです。
 今回などは強烈で、家のⅡfxとオフィスの7500が相次いでおかしくなりました。
 Ⅱfxはもう10年以上も経ったマシンです。値段は当時なんと100万円以上もしました。もともとはマックⅡで、後に新型のⅡfxが出たときに、ボードを差し替えてⅡfxにアップグレードしたのです。
 その頃、マックといえば、いわゆるディスプレー・本体一体型でした。
 はじめて本体と分離された型のマックⅡの専用のディスプレーはまだ輸入されていませんでした。通の人はもっぱらソニーのディスプレーを使っていました。
 もっともアップルのディスプレーはソニーのOEMでしたから、それでなんの差し支えもなかったのですが……。でもぼくは純正のディスプレーが欲しかった。大阪の支店長に掛け合っても、あまりらちがあきません。
 東京のパーティーで行き会ったアップルの社長に頼むと、あっさりと引き受けてくれました。(注:この人現在のマクドの社長さんです)
 ついでにいうと、今ではごく普通の3・5インチのディスケットは、そのころはマックでしか使われていませんでした。マックを作ったスティーブ・ジョプスが日本に来て、当時ソニーでまだ試作段階だった、この恐ろしく小型の記憶媒体の採用を決めたという話です。
 当時、ぼくはまだほとんど実務の実用とならないマックを「極めて教育的マシン」として、みんなに推薦していました。だから現在ぼくの周りの人間は、ほとんどがウィンドウズもマックも使えます。ぼく自身は、五年ほど前から、ほとんどマックになってしまいました。
 大学の夏期集中セッションの時と、ウィンドウズソフトの開発の時以外、ウィンドウズはほとんど使いません。
 独断と偏見の大家を自認するぼくとしては、マイノリティであることのほうが、どうしようもなく気色がいいのです。
 Ⅱfx不調の原因はどうやら内蔵のニッカド電池の消耗のようでした。
 ほとんど同時に二台のマシンの機嫌を損じてしまったぼくは、そんなこと出来るわけもないはずなのに、「まあやりながらでも構想は練れるやろ」とハードディスクのフォーマットからやり直して、マック二台のシステム・インストールを始めたわけです。
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