『風立ちぬ』を見て

PosterOrg「風立ちぬ」を見ました。
なるほど、これではベネチア国際映画祭で賞が取れなかったのも当然と納得できました。「千と千尋の神隠し」を見た時は、これは賞を取るだけのことはあると思いました。
昔はそうでもなかったのですが、いつほどからか、彼の作品はどうもしっくり来ないと感じ始めるようになっていたのです。どうしてなのか分からなかったのですが、数年前からたぶん3.11の後ぐらいから、その原因が分かってきたのです。
彼の映画には、日本がないのです。たしかにそこに描かれる自然は日本の山の風景です。それは、ぼくの瞼にはっきりと残っている北アルプスの黒部五郎岳と薬師岳の間の高原状の上の岳周辺の風景だったりして、なんとも引き込まれそうに感じたりしたものです。
しかしその自然描写は別にして、登場人物は日本人ではなくて国籍不明です。彼の作品の登場人物は形は日本人だけれど、国籍不明の地球人ともおぼしきものたちで、まあその辺が外国人にも受け入れ易かったのかもしれません。
「千と千尋」の風呂屋にしても、あれは日本というよりチャイナみたいです。
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妖怪という霊の住む島・日本

暑かった夏が過ぎました。あの夏に、日本では、特に東日本大震災の地で不思議な体験をした人が沢山いたようです。
あのとんでもない大災害で肉親を亡くしたり、最愛の子供を失ってうちひしがれていた人たちは、亡くなった人にあうことが出来たのでした。亡くなった人が眼前に現れ、励まされることによって、再び生きる勇気を持つことが出来るようになったといいます。
そんなバカな、という人も多いでしょう。
ある世論調査によれば、お化けや幽霊がいると思う人は二人に一人で、これは1979年の調査からあまり変わっていないそうです。
地域的な違いは、中・小都市や農村では減っている傾向があるのに反して、大都市部では増えています。年代別では若い人ほど、いると思う人が増えている傾向は変わらず、二十歳代では39%となっています。
霊魂や神、死後の世界などの存在について、そのような現象があると思う人は、ほぼ三人に二人となっています。いちばん多いのは「虫のしらせ」(39%)で「霊が見守る」や「死後の世界」などがこれに続きます。
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お盆で郷里に戻る

今年も、例年通りお盆(盂蘭盆・うらぼん)の行事などのため、郷里のるり渓に帰って来た。
盂蘭盆というのは、毎年8月15日前後に、日本全国で行われる祖先の霊を祀る行事で、そのため日本中の会社もお盆休みを設けている。
もともとは、神道に基づく行事で、大昔から先祖供養の儀式や神事を行うことになっていたのを、江戸幕府が仏教の檀家制度を作るとともに盂蘭盆の行事を行わせたため、二つが習合したとされている。
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亡国のリベラル派知識人の一人・上野千鶴子先生(承前)

前稿の「プライム・ニュース」の記事で取り上げた古市憲寿くんは、『絶望の国の幸福な若者たち』という本も書いている。その他にも何冊かの上梓がある。
この本のアマゾンのレビューには79の書き込みがあり、その内訳は五つ星21、四つ星19、三ツ星11、二つ星11、一つ星17となっている。まあ好悪相半ばするという結果になっている。適当に読んで見た。そして、こんな風に評価が二分すること自体、色々な意味で、日本の現在の状況を表わしているといえると思ったのだが、その一つに次のような記述があった。

「この著者は、ポエム(詩)をアピールしてAO入試(小論文・面接だけ)で慶應大の環境情報学部に入学。その後、東大院だが、実は院に関して言うと、東大院は定員が日本で最も多いので、かなり入りやすい。難関試験を突破しているわけではないのである」「彼は慶應義塾大学SFC研究員と称しているが、あくまでも「訪問研究員」に過ぎない点には注意である。SFCが実施する研究に参加する目的で受け入れられている研究者に過ぎず(あくまで研究所の訪問者に過ぎず)、慶應との雇用関係にはない」
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古市憲寿という若者にみる国家観の欠如

先日、敗戦記念日のプライムニュースで「終戦の日に考える、いまの若者の戦争観」という番組を見た。
3人のゲストの内の一人の大学の先生は、若いとはいってもとても若者とはいえない人だった。二人の若者の一人は、古市憲寿という優しい感じで、どう考えても肉食系には見えない男子で、もう一人は山本みずきさんという賢そうな美人の女子大学生だった。

Furuichi古市くんは、朝生に出ているのを見ていたから、知っていた。田原総一郎が可愛がっているみたいだったからそう思ったのかもしれないが、すこし気になるところがあった。世界の戦争博物館を回って『誰も戦争を教えてくれなかった』という本を書いた人という紹介だったのだが、世界を回ってきたという感じがなくて、なんか日本各地の美術館巡りをしてきたみたいな感じを受けたのだ。誰も戦争を教えてくれないのなら、自分で調べたらいいではないか。小・中生じゃあるまいに甘えたタイトルだなと思った。肩書きは東京大学総合文化研究科博士課程だった。
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『終戦のエンペラー』を観て

『終戦のエンペラー』を観た。
観るまでは、どうせハリウッド映画だから、どうせ大したもんではないと思っていた。『硫黄島からの手紙』や『父親たちの星条旗』『トラ・トラ・トラ』『戦場に架ける橋』などなど、大東亜戦争がらみの映画はどうも心底楽しめない。最近特にその傾向が強まったように思っていた。
だいたいその題名「終戦のエンペラー」が気になった。エンペラーというのは皇帝のことで、天皇は皇帝ではない。全く違う。皇帝には絶対的な権力があるが、天皇には絶対的権威はあっても権力はない。
天皇は天皇なので、英語では「TEN-NOU」であるべきではないか。
などと考えたりしていたのだが、題名からいちゃもんをつけてもしかたないなと映画館に向かった。そして、この『終戦のエンペラー』には、つい引き込まれて見終わったのだった。ある感動さえ覚えていた。
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福沢諭吉「脱亜論」の背景

麻生副総理の「ナチス発言」、この命名自体おかしいと思いますが、が話題になっています。
まずいことを言ったなと思いました。
なぜなら、日本を強い国にしたくないアメリカや連合国諸国は、世界での「戦後レジューム」を保持したいと考えており、たとえば「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」などの捏造事件をナチズムと関連付けようと、ことあるごとに試みてきたと言えるからです。
気になるので、麻生発言を全部読んでみました。驚いたことにあの朝日新聞が全文を公開しています。
麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細

読んでみて思ったことは、なんでそんなに大騒ぎするの、という感じでした。問題の部分は、かなり長い話・講演のいちばん最後の方にちょっと出てくるだけで、大騒ぎするような話ではない。特に今の世界の常識、日本の常識から考えて、あり得ない強引付会の揚げ足取りと感じました。
問題の部分に、「気がついたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた」というのがあります。
しかし、ナチス憲法などはなかった。ヒトラーは憲法改正などやっていないのです。
問題の根は、「全権委任法」にありました。ヒトラーは政権を取ると直ぐにこの法律を成立させます。しかし今の時代、そんなことが出来る訳がない。
麻生副総理の真意は、全文を読むと分かりますが、中韓がいろいろ言ってきて騒がしくなる。そうするとアメリカも困るだろうから、静かにやる必要がある。その方法を考える必要がある。そういうことが言いたかったのではないかと思うのです。
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哀れな文化的自傷国家「大韓民国」

またまた、韓国がやってくれましたね。サッカー場での横断幕での件です。安重根の顔を掲げたりもしました。これって一体どういう意図があるのでしょうか。この伊藤博文を暗殺したテロリストを、サッカー場に掲げることで、一体なにをいいたのか。ぼくには分かりません。
韓国の若者はどうして、こんな意味不明なことをするのでしょうか。それにしても、このタイトルも意味不明だと思っていらっしゃいませんか。最後の方でお分かりになるでしょう。
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この不純な国名「中国」

イギリス、英国。アメリカ、米国。ドイツ、独逸。
いずれも同じ国の名称です。だいたいどこの国にもこうして日本語で二つの表記が可能です。ロシアは露西亜で、オランダは阿蘭陀です。
では、中国はどうでしょう。これは中華人民共和国の略称だといえます。とすれば、チャイナ、中国となって当然で、チャイナと中国は同等に用いられていいと考えられます。しかしそうではなく、チャイナが用いられることは少ないようです。
そして、右がかった人は「支那」と呼ぶことが多い。また「支那」は差別語であると思っている人もいます。

調べてみると、これはGHQ支配時の外務省の通達にその淵源を求めることが出来ることが分かりました。昭和21年(1946)、連合国の管理下にあった外務省は、東京都内の主要マスコミに対してこんな通達を出しました。
中華民國の國名として支那といふ文字を使ふことは過去に於ては普通行はれて居たのであるが 其の後之を改められ中國等の語が使はれてゐる處支那といふ文字は中華民國として極度に嫌ふものであり、現に終戰後同國代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があつたので、今後は理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考え念のため貴意を得る次第です。要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辭例としては
  中華民國、中國、民國。
  中華民國人、中國人、民國人、華人。
  日華、米華、中蘇、英華
などのいづれを用ひるも差支なく唯歴史的地理的又は學術的の敍述などの場合は 必しも右に據り得ない例へば東支那海とか日支事變とか云ふことはやむを得ぬと考へます。
(昭和21年6月7日付「中華民国の呼称に関する件」より引用)
大東亜戦争などと同じく、GHQ支配下で用語統制の一つであったということです。
サンフランシスコ講和条約後も、戦後体制を維持したいマスコミはこれを信奉し続けるだけではなく、それを破るものにいわれない批判的態度を取り続けていると考えられます。
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我が家のブナの樹の物語

たぶんそれは、ぼくがまだ30歳になっていなかった頃のことだったと思う。
親父が、シラビソの樹が欲しいのだが、手に入らぬだろうかと尋ねた。庭に植えたいのだという。
シラビソというのは、ぼくの知る限り、北アルプスの2000メートルあたりに生えている、クリスマスツリーの樹で、そんなものが、田舎の家の庭に育つとは思わなかった。
シラビソは、ぼくたち北アルプスを歩き回るものにとっては、たいへん親しみ深い樹なのであった。
たとえば、夏山で有峰から薬師岳を越えて剱岳まで縦走しようとすると、薬師の樹林限界を抜けるまで、薬師を下って、上の岳から五色が原に至るまで、ずっとこの木々を見ることになる。
雪山では、その根っこは必ず枝の間が空洞になっており、非常時のビバークに都合よい場所を提供してくれるのだった。

シラビソの樹

シラビソの樹


大辞林によると、しらびそは白檜曾などと難しい漢字を用いている。
マツ科の常緑高木。本州中北部の高山に群生し、高さ20メートルにも達する。樹皮は灰白色、葉はモミに似るが、短く密につく。雌雄同株。6月ごろ開花し、まつかさに似た実がつく。材は建材・パルプなどに利用する、とある。
ぼくは、山岳部の後輩で、山に近いからと富山県県庁の林務科に就職したヨシユキに頼んでみることにした。彼が、有峰の事務所に配置されたことを聞いていたからだった。
彼は快諾してくれたが、しばらく時間がかかるといった。この時、ヨシユキはその木のことを「オオシラビソ」と呼んでいた。ぼくもそのままの口移しで、オオシラビソと言ってきたのだが、シラビソとオオシラビソは同じなのか違うのか知らなかった。いま、ネットで調べると、同じものともいえるが、同じではなかった。
シラビソは、主に太平洋側の雪の少ないところに生育するが、オオシラビソは日本海側の雪の深いところに生えるという。
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