ラトック1の登頂が成功した。
そのことを知ったのは、東京の牡蠣専門のレストランで、だった。
ラトック1登頂成功を聞いて、ぼくはなんだかホッとした。
いつまでたっても第二登が成功しないことが、登頂後20年を超えた頃から次第に気になりだしていたのだ。来年で、初登以来40年を数える。
来年には、登頂40周年になるから、それを記念してパキスタンに行きましょうという友人も現れた。来年末には、一緒に行こうというパキスタン・ツアーへの参加希望者が10人も集まったという。
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ラトック1の登頂が成功した。
そのことを知ったのは、東京の牡蠣専門のレストランで、だった。
一行4名がリモネットに着いたのは、夜半を過ぎた頃でした。
管理人のジャコミーナに頼んでおいたので、薪は用意されていましたが、ストーブは煙るばかりで全く燃える気配なく、全員燻されて、まるで燻製状態で、全部の窓を開け放たざるをえず、寒さに震え上がる始末でした。
一応お腹は大丈夫だったとはいえ、ニースからの夜中に開いている道中のお店もなく、何も食べずにここまでやってきたわけです。この寒さの中で、震えながら空腹を抱えて朝まで耐えるのは無理と思われました。
そういうこともあるかと、買ってきたマツモトの鯖寿司2巻と成田空港で仕入れた細巻き寿司でお腹を満たしたのでした。
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2年ぶりにイタリアに来ています。
ピエモンテ州のリモネットは、山は紅葉に彩られて秋なのですが、寒さは冬の感じで、暖房がないと身震いするほどの寒さです。
エールフランスで、シャルル・ドゴール空港経由でニースに着きました。
機内食で、オーダーすると有償で特別メニューがあるというので、どんなものかとネットで注文しておきました。席もネット予約で、脚が十二分に伸ばせるエマージェンシー・ドアサイド席を取ることができました。緊急時にスタッフに協力するために英語が話せるかの確認を取られます。
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ブログに広告を出しませんかという趣旨のお誘いみたいなものが何度か来た。
調べてみると、これはいわゆるアフィリエイト広告というものを意味しているらしかった。
アフィリエイトとは成果報酬型の広告を意味している。つまり、それによって報酬を得ることができるというものらしい。聞くところによると、今はやりのブロガーなる人たちは結構な収入を得ているという。
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先の稿でも書いたように、三内丸山遺跡の発掘は多くの点において、縄文文化に対する認識の変更を迫るものだったと言えます。そして、世界の古代史において、縄文文明と呼んでも良いものであると思わせるものでした。
地面に径2mの穴が6つ掘られていて、そこには径1mの栗の丸柱が立っていたことは、大きな驚きでした。
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縄文時代は、約1万3000年前に始まり、2300年前頃まで、1万年以上続いたとされています。
こうしたとんでもない昔の年代をどうして測るのかというと、20世紀の半ばに考えられた、炭素の同位元素を使った年代測定によって、極めて正確に測れるようになりました。炭素の放射性同位元素の半減期が5730年であることを使いますから、動植物の遺骸が必要で石とか金属とかは測定できません。
だから土器やら石器などは、それが出土した地層に含まれる植物などを利用するわけです。動物・植物は炭素を取り込みそれで体を作っていますから。
先日、はじめて北海道の更別村というところへ行く機会を得ました。
「十勝さらべつ熱中小学校」での授業を依頼されたからです。
更別村というところは、人口3000の村なんですが、各戸に米国製のトラクターが複数台ある家もあるというけっこう裕福な村なのだそうです。
そこの授業では、ぼくのやってきた山登りの話をしました。ほんとうは、縄文人とアイヌ人の話をしたかったのですが、ぼくは体育特任教諭ということになっていますから、山の話をしないといけないと思ったのです。
そういうことを、ちょっと話したら、後で多くの人たちから縄文の話を聞きたかったと言われたのです。そして、夜の焚き火を囲んでの会合では、そんな話で大いに盛り上がったのです。
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ロシアの新聞記者から突然、iPhoneにSMSで連絡が来た。先々週のことだった。
「私はロシアの新聞イズベスチャの◯◯◯◯(ロシア文字で読めない)と申します。突然ですが、私のインタビューを、もし迷惑でなければ、受けていただけませんか。インタービューはSkypeでやり、録画してTVにも載せたいと思います。実は、友人がLatok1で死に1人がまだ戻りません。」
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