Macを創った人たち

スティーブ・ジョブスの顔にも少々見飽きてきました。
主に使っている、ちょっと型遅れのPowerBook G4(Titanium)を立ち上げると、毎回スティーブ・ジョブスの顔が現れます。もういいわという気分になっています。
彼の死が悲しかったし残念だったのは確かなんですが。(と書いていたら、2週間続いたこの写真ディスプレーも、ようやくiPhone4Sに替わりました)

息子がSMSで「スティーブ・ジョブスが死去。なんという喪失感」と報せてきて、彼の死を知りました。病気が軽くないのは知ってましたから、意外ではありませんでした。でも、なんでジョブスなんや。ビル・ゲーツでも良かったのにという密かな思いが頭をよぎったのです。ビル・ゲーツが死んでも残念だとは思わなかったのではないかと思います。

Apple社を作ったのは、2人のスティーブです。スティーブ・ウォスニアックとスティーブ・ジョブス。
この二人の名前を挙げた時に、同時にぼくの頭に浮かぶ名前は、アラン・ケイであり、ジェフ・ラスキン、ビル・アトキンソン。
これらの人が、今のパソコンを作ったのだと思っています。これらの人はみんな天才です。

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葉巻の愉しみ

タバコ吸いはどうも肩身の狭い感じのする昨今ではありますねぇ。
野田内閣の閣僚のおばちゃんが、皆さんの健康を守るためです・・・などと発言したので、「そこまで言って委員会」でざこば師匠は怒りました。
「人のことはほっといてくれ」

ガキだった頃、大人が吸う煙草に興味があったんでしょう。田舎のるり渓で、ぼくは祖父さんの刻みたばこを盗み出し、悪童の友達と二人農機具小屋に隠れてキセルを吹かせたことがありました。
直ぐに、頭が痛くなり吐き気に襲われました。その悪童の連れは「水に入ったら直る」といって駆け出しました。二人でそばの川にフリッチンで飛び込みました。

こういう初体験があった所為なのかどうか、高校でも大学でもタバコはやらなかった。
高校の頃、喫煙検査なるものがありました。先生がリトマス試験紙みたいな紙切れを渡し、みんなに舐めさせます。色が変わったら喫煙している証拠です。
検査になると、廻りのクラスメイトが一斉に紙をぼくに渡します。素早く舐めて返します。そんな舐め屋みたいなことをやっていました。

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『サンデルよ、「正義」を教えよう』を読んで

サンデル教授の「白熱教室」がけっこう人気を呼んでいるようです。
先日の「木曜ミーティング」でも、何度か話題に上がりました。

話が横道にそれるのですが、この木曜ミーティングについて説明したいと思います。
これは、今に至るまでもう25年近くも続く集まりで、毎週木曜に集まる。
その頃は、当時やっていた会社で夜開かれ、京都府の運転免許証管理システムをコボルで書いた警察官や有名電機企業のプログラマーなどプロフェッショナルを含む20人近くが参加していた。

当時は、まだDOSの時代で、Pascal(TurboPascal)というコンパイラー言語を使って、WISWIGをどう実現するかなどの研究をやっていた。
たとえば、画面にキーボードの絵が表示され、そして線書きの手が表示される。あるキーを押すと、画面上のその指が、そのキーに動くというようなコードをどう書くか。などとゆうようなことに熱中していた。参加者も熱心で、夜半を過ぎても終わらないことも多かった。

やがて、ウィンドウズが発表されると、テーマはOOP(Object Oriented Programing)(オブジェクト指向プログラミングのことで、ウープと読む)に移った。主催者兼講師のぼくは大変で、ウープの講座を求めてアメリカ、イギリスと転々としたものだった。
この集会は、今も同じ木曜日に開かれているが、もう勉強会ではなく、四方山話をするサロンとなり、参加者も数名になった。
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プチ断食その後、明らかな変化が

前に書いた通り、あのプチ断食を行ったのは、8月22日のことでした。それで、その後どうなった?
もう一ヶ月以上経ったので何らかの報告をしないといけないと思っていました。
そしたら、ぼくがダイエットを秘密でやっているという噂が流れているという話です。
「高田センセ内緒でダイエットしたはるらしいよ。女の子みたい」
ぼくは、ダイエットをしているつもりはほとんどありませんでした。
断食後、炭水化物をまったく摂らないように心がけただけです。
でも、明らかな変化が起こりました。

おやつが欲しくなくなりました。それまで夜中におやつを食べるのがけっこう習慣化していたのです。夕食の後に、好物の豆餅などを食べるのが常だったのに、そうした甘いものを食べなくなった。
たまに、口が寂しくなる時もあって、そんなときは「これも炭水化物なんや」と思いながら、ビーナツの混じった柿の種の小袋を食べることはありました。

どんなものを食べていたかって?
まず朝食といっても、起きるのは昼頃ですから、ブランチなんですが、スープとお豆腐の冷や奴、それに生野菜のサラダ。
夕食は、牛肉や鶏肉。牛肉はランプをステーキやカルネクルード(イタリア風に出刃で叩いてミンチにしてオリーブオイルをかけて食する)にする。

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「池上彰の現代史講義」がおもしろい

池上彰の20世紀を見にゆく」が面白い、とはこの間書いた。
このBSジャパンの番組は今も進行中である。1話CMを含めて10分のものが土日を除く毎日2話ずつ放送されている(6:40~7:00)。
今日は、56話「シンガポール攻略 山下奉文とパーシバル」と57話「アジアの要塞 イギリス領香港攻略」だった。

いづれも勝ち戦である。54話の「真珠湾攻撃」のすぐ後だから日本軍絶好調の頃で、見ていて気分がいい。
最終話の第103話「日本敗戦」まで、まだ大分楽しめそうだ。
この「20世紀を見にゆく」は日清日露の戦争に始まって日本敗戦で終わる103話のフィルム構成の番組である。
たしかに、この「フィルムに刻まれた20世紀の記憶」は、色々な意味で「未来への遺産」であると思える。

もう一つ同時進行中なのが、「池上彰の現代史講義」である。こちらもBSジャパン。「20世紀・・・」が敗戦までであるに対して、こちらは敗戦後から現在に至るものでだから、ぼく自身の見聞にもより近しく、より生々しい感覚と思考を得ることができるようだ。

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チャリティー・シガーパーティに行く

シガーパーティの誘いを受けた。
秋分の日に開かれた東日本震災へのチャリティーシガーパーティである。
主催は、大阪リッツ・カールトンにある「シガークラブ」という葉巻屋さんである。ここは関西一帯のシガーサプライヤーでもある。

誘ってくれたのは、友人のドクターSで、彼は歳若いにもかかわらず数千本のシガーを保有する希有なシガー愛好家なのである。このパーティでは、シガーやその他シガー関連のアイテムのオークションも行われるらしい。
彼も一本数万円もするレアーもののシガーを6本ほどチャリティーとして出品するという。

ほかにこのお店の常連の島根のドクターが、秘蔵している珍しいウィスキーを何本も出す。

これは、バーで飲めばワングラス1万円以上するというような代物らしいが、ここでは千円で提供されるという。

オークションと言えば、ヤフーオークションくらいしか体験のないぼくには、あまり関係ないと思われたし、なにせ一流の貧乏人をもって任じるぼくにはそぐわないとも思われたのだが、レアーもののウィスキーには興味がわいた。

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ヘッダー画像の説明

『葉巻のけむり』のヘッダーの画像は、私の撮ったものが15枚ほどプールされていて、ランダムに表示されるように設定してある。
中には、なんのことか分かりにくいものもあるので、おりおりに説明文を書いて行くことにした。

パキスタンのフンザ周辺では、いまも薬用としてケシが栽培されている。子供の頃、風邪を引くとミルクに混ぜて飲まされた。よく効いたよ。ナジールはそういっていた。

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なでしこはなぜ勝ったのか

ぼくは、野球は好きではありません。これといった理由も見つからないのですが、どうも性にあわないような気がする。
むかし、誰かが「ほんまにハラタツノリや」といったのですが、ぼくはそういう名前の野球選手がいるのを知らなかったので、語呂合わせのシャレが分からなかった。

その頃、Numberという雑誌が原稿を頼んで来ました。若くてコワイもの知らずのぼくは、高校野球は高校生の人間形成を阻害するというような主旨の原稿を書きました。担任していた野球部の生徒の実例をあげながらの原稿は、けっこう説得力があるつもりだったのですが、いまにして思えば、とんだ若気の至りだったようです。
以後その雑誌からは、二度と原稿依頼は来ませんでした。

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ブログのアクセス数について

新しいブログ『葉巻のけむり』を開いて、一週間以上が過ぎたようです。
開設して数日した頃、アクセス数が気になったので、アクセス数を表示するようにしてみました。
ところが、その数がすごいんです。『高田直樹ウェブサイトへようこそ』ではこんなことはなかった。この高田直樹ウェブサイトでは、Serene Bach(シリーンバッチと読むのかな)という日本人が開発したソフトを使っているのですが、このアクセス解析は日別、時間別、アクセス元などなどとても正確です。

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プチ断食を行う

つい先頃、プチ断食なるものを行った。
丸一日半くらい水以外を口にしませんでした。
少し前から、知り合いの美容外科の女医さんKちゃんが、しきりに断食を薦めたからである。
回教圏では年1回の重要な行事として断食月(ラマザン)の断食がある。回教圏では月を基準にした太陰暦を基準としているので、新月から新月までの一ヶ月が断食月となる。

この約30日間、ムスリム(回教徒)は、日の出ている間一切のものを口にしてはいけない。日の上る前に朝食を済まし、夕方日没とともに断食明けの食事(イフタリ)を食べる。
ラマザン月に回教圏の都市にあなたがいたとする。夕方、あなたは不思議な体験をするはずだ。夕闇がちがづいて日が没するとともに、独特の喧噪に溢れていた街全体が、突如水を打ったような静寂に包まれるのだ。全ての人々が一斉に食事を始めるからである。
例えば、商店などでは、店にいる全員が床に敷いたシートの上で車座で食事を始める。一番最初に食べるのは、棗(なつめ)などのドライフルーツと決まっている。

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