熟成肉「中伊勢」の作成始末

「ぼんよ」と祖父は幼いぼくに声をかけた。
 「肉を焼いてやる」と出刃包丁を片手に土間の西の戸を開けると、母屋の西隣の小屋にぼくをいざなった。天井に跳ね上げてある吊り梯子を下ろして上に登っていく祖父を追って、ぼくは必死に急な梯子をよじ上った。
 屋根裏部屋の梁には,大きな牛の脚がぶら下がっていた。
 それは密殺された牛の脚だった。牛の屠殺は公認された屠殺場以外では許されてはいなかったが,戦時中の食糧難の農村では密かな屠殺が行われ、それを密殺と称していた。
 こうして、竃の火で焼いた大きな肉塊を日常的にぼくは味わい、その深みのある味わいは、幼いぼくの幼児の記憶として残ったといえる。

 30年以上も前に始まった「北山パーティー」の春のメニューは、当初は山菜の天ぷらがメインだった。やがて「たらの芽」などが、スーバーの棚に並ぶようになるとともに、採集がきわめて困難となり,メニューはステーキとなった。
 そうなると、おいしい肉を選択する必要に迫られることになった。
 最初は,神戸肉とか松阪牛、いや近江牛などと選んでいた。
 あるとき、郷里のるり渓に帰る途中、八木のスーパーに立寄り、すき焼き用に亀岡牛を買い求めた。そのスーパのお肉屋さんで、「すき焼き用にお肉をください」といい、「手切りにしてほしいんだけど」といった。
 お店のマスターは、「そうですか。まあこっちに入ってください」とぼくを、冷蔵室に入れてくれたのだった。
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青山繁晴のニュースDEズバリ!

 昨日アップした「東京裁判~その欺瞞の歴史~」(2)の末尾に張った、青山繁晴のニュースDEズバリ!のリンクが早速削除されてしまいました。あちこち探しましたが、見事に全て削除されています。調べてみると、すべてが削除されているわけではありません。テレビの番組の動画はすべて消されるという訳ではないようです。テレビ番組の録画動画はそれこそ、ごろごろ上がっているのですから。
これはどうやらその内容によるようで、こうした世界の常識を日本人に知らしたくない人たちが、必死に消しにかかっている。そんなことをしても、まず無駄だと思うのですが・・・。
まだどこかに消し忘れがあるかもしれないとさらに探索を続けると、画像の質を極度に落としたものが、消されずにひとつ残っているのを見つけました。
 テキスト起こしをするのにはこれで十分と考え、さっそく作業にかかりました。しかし、やはりフリップの絵は欲しい。しかしこのサイトの絵はなぜかコピーできません。困ってしまって、再度探索を続けることにしたのです。
 そしたら、すごい! この「ニュースDEズバリ!」を完全にテキスト起こししているサイトが見つかったのです。素晴らしい。感激しました。ぼくがやろうとしたことをすでに完全にやっていた人がいたのです。おまけに「引用転載はご自由に」と書いてありました。テキストなら消されることはない。
 お言葉に甘えて、さっそく転載させていただくことにしました。
 さらに、綺麗で完全な動画が残っているのを見つけました。これは末尾においておきます。

山本浩之
「今回の事件は最悪の結果を招いてしまいました。海外にいる日本人を守るために、じゃあどうしたらいいんだろう。さっそく解説お願いしたいと思います」
アルジェリア人質事件
青山繁晴
「はい、皆さん、先ほど申しましたとおり、洪水のような報道はあるけれども、いわば通り一遍の政府批判だけしてればいいと、いうことではありません。政府批判もちろん、とても大切な報道の任務ですけれども、やっぱり、えー、こういう、一番深刻な事件が起きたからこそ、根っこの問題に改めて目を向けるべきだと思います。えー、そのひとつめ、私たちの日本国民が、これを、貴重な契機として、気づくべきことの最初は、これです」
海外の日本国民は
村西利恵
「海外の日本国民は保護されない、ということ」

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東京裁判~欺瞞の歴史~(2)

 アルジェリア人質事件は、たいそう痛ましい結末を迎えました。この事件でも、私たち日本人は、この国がほかの国とは大きく異なっており、大変特殊な国であることに、否応なく気付かされたのではないかと、ぼくには思えます。

 今日の「モーニング・バード」では、ゲストの上智大学の私市正年教授が、次のようなコメントを述べていました。
 「言っておかねばならないことは、日揮にかぎらず、日本のビジネスマンがアルジェリアでどれだけ貢献してきたか、70年代は4000人以上の人々が、アルジェリアに滞在して、まさにアルジェリアの国家建設は、日本人が行ったと言っても過言ではないのです。アルジェリアの人も大変感謝しているんです。」

 これを聞いて、ぼくはインドネシアの独立を助けた日本の帝国陸軍のことを思い出しました。これは前項に紹介したとおり、「日本人は<アジアをアジア人のものに取り戻そう>と、すなわちアジア全体を西洋の植民地主義者から開放しようと、決意していた」という歴史学者レーリンク博士の主張の根拠の一つとなったものです。
 日本軍はインドネシアからオランダを追い払い、インドネシア国旗の掲揚と国家の斉唱を解禁しました(1944年9月)。翌年には、スカルノなどが独立宣言するのを助け、これを承認しました。
 あとに続いた独立戦争には、軍籍を離れた2000人の日本人(軍人と軍属)が最前列に立って戦い、半数の1000人がこの戦いで命を落としました。
 独立戦争は4年間続き、80万人のインドネシア人が殺されたところで、アメリカが間に入って、オランダに植民地放棄の代償として60億ドルを支払うという条件で、独立が承認されたのです。
 そして、もっとすごい条件が付いていました。それは、「アジア解放に殉じた日本」を消し去り、代わりに「残虐な侵略者日本」を残すこと。この2つの条件を、スカルノが呑んだので、独立が承認されたのです。日本を弱体化させようとしたのは、GHQではなく、それはアメリカをはじめとする連合国の国是ともいうべきものだったと言えます。
 こうして、ジャカルタに建てられた独立記念塔には、オランダ人の過酷な植民地支配の記録は一切なく、代わりに、日本軍が資源や労働力を搾取したことが記されることになりました。さらに独立の戦いも対英蘭軍ではなく、対日本軍の戦いに置き換えられているのです。
 かてて加えて、恩知らずにもスカルノは日本に戦時の蛮行の賠償を要求し、日本は国家予算の三分の一に当たる莫大な賠償金を支払うことになりました。
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プライムニュース「”憲法”を考える」

昨年の暮れの2012/12/30に放送された、フジテレビ・プライムニュースの2012総集編を、YouTubeにアップロードしました。
最大の尺制限が15分のようで、不要部分を削り、前半部分を主に取り出し、1/4~4/4と4本に分割しなければなりませんでした。
ファイルの尺や容量を調節するのには、TMPGEnc Authoring WorksとTMPGEnc MPEG Editorを使ったのですが微妙な調節は結構面倒でした。そこで、いいソフトはないかいなと探したら、TMPGEnc Video Mastering Worksというソフトが出ていました。
9800円はちょっと高すぎるとヤフオクで探したら、クラッキングの情報が250円で出ていたので、即買うことにしました。
あと12時間で落札出来るでしょう。
さて、アップした映像ですが、まだ総裁に選ばれる前の安倍さんがたいへん熱っぽく語っておられます。
すべてが腑に落ちる話ではあるのですが、次の諸外国の主な改憲例という表にはたまげました。日本というのは、まことに変わった独特の国なんだなあと改めて思いました。
アメリカ  6回
フランス  27回
ドイツ   57回
カナダ   18回
韓国    9回
イタリア  15回

四つのファイルのURLは次のそれぞれです。
◉これらの動画は、ブロックされましたので、テキスト化してアップしました。

1/4 http://www.youtube.com/watch?v=jinJdbQmvoI
2/4 http://www.youtube.com/watch?v=4_hPbWwmi0U
3/4 http://www.youtube.com/watch?v=CfU34VoM72A
4/4 http://www.youtube.com/watch?v=OP2VNXVIL6k

石垣島への旅と慰霊碑詣で

 石垣島に行ってきました。そこには、葉巻仲間のKさんがいて、ぜひいらっしゃいとずっと誘ってくれていました。何年か前、彼が大阪のリッツ・カールトンにいた時、一度泊まってくださいといいお部屋を用意してくれたことがありました。
 といっても、彼が直接ぼくに言った訳ではなくて、亘くんが「部屋を取ってくれる人がいるのですがいかかですか」という話に大喜びで乗っただけのことで、はたして誰が部屋を用意してくれたのかぼくは知らなかったし、いまも知らないのです。でも、それは間違いなくKさん以外にはないと信じている訳です。その後も話には何度も出るものの会ったのは東京のシガー・バーでの一度きりだったのでした。
 今回は、バンコックのホテルで、サトードクターと話していた時「はよ行かんと、Kさん沖縄から帰ってくるかもしれませんよ」と、彼とは非常に親しいドクターはいいます。そら急いでいかんとあかんね。「ほんなら、年明け早々に」という話になり、サトー君はスケジュール帳を取り出したのです。ぼくは、ちょっと待ってと制しました。トモが「行きたい」と何度も言っていましたから、彼女も一緒に日取りを決めないといけないと思い、電話で部屋に呼んだのです。
ぼくはエブリデイサンデーでいつでもよかったのですが、二人の都合で正月4日から2泊3日という日程がすぐに決まりました。
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