どうやらぼくは軍国少年ではなかったと思える。同年輩の人たちの話から、考えるとどうもそんな気がする。どうしてか、少々気になることではある。何故なんだろうと考えてみた。
満一才になった時から小学生に行くまでの期間、ぼくは祖父母の元で育った。そこは、丹波の山里で、鹿が現れたり、狸が樹に攀って柿を食べていたりというような場所だった。町中にいたら、大人達の話を聞いて戦争のことも少しは聞き知ったかもしれないけれど、トンボや蝉と遊ぶ子供には、まったく関係のないことだった。
学校に行くようになっても、この傾向は変わらなかった。だから、国民学校の門をくぐって、奉安殿の前を通過するとき、「歩調取れえ」「かしらみぎい(頭右)」と号令をかけていても、それはたんなるプロシージャーに過ぎなかったようだ。(奉安殿というのは、天皇陛下のご真影が収められている建物で、校門を過ぎた辺りにあった)