衆議院解散の万歳フライング

 11月21日、衆議院の解散が行われた。
 その模様は、かなり詳細に映像として報道されたといっていい。
 解散の進行は次のように進行することになっている。
 まず閣議決定が行われる。閣議決定というものには、全大臣の署名が必要である。小泉内閣の郵政解散の時、一人の閣僚が署名を拒んだので、小泉首相はその大臣を罷免し、自分が兼務することにして署名を埋めたという。
 解散の詔書には、国事行為としての天皇陛下の決済が必要で、天皇は解散詔書に「明仁」と署名を行う。そして、天皇の御意思を受けて侍従が、詔書に御璽を押印して、解散詔書が出来上がることになる。
 この詔書は国会に届き、黒塗りの盆に紫の袱紗にくるまれて、内閣官房長官から衆議院議長に手渡されることになる。
 解散は当然のこと、閣僚の任命にも天皇陛下の決済が必要なのであって、天皇がいなければ日本国は動かない仕組みなのである。 続きを読む

この頃気になること(1):「この國」という呼び方

 「錦織ってスゴイねえ。やっぱり日本人って凄いんだ。」と家内がいいました。たしかにその通りだとぼくも思った。
 これを「このニシコリっていう人スゴイねえ。やっぱりこの國の人って凄いんだ」とはあまり言わないと思うのです。
 なぜか、いつほどからか、ぼくはこの「この國」という言い方が、大変気になりだしていました。それはどんどん昂じてきて、最近ではテレビなどで、この「この國」という言い方が使われると、その瞬間、なぜかドキリとしたりするのです。
 どんな人が使うのかをつぶさに観察していて、ぼくは一つのことに気付きました。そういう表現をする人はほとんどが左系の人あるいはリベラル派とされている人であること。これは、あの「生活者」というなんだか意味不明の表現をする人にもいえるようです。
 日本という國を肯定的に捉え、そういう文脈でいう時には、ふつうは「この國」は折り合いが悪いようなのです。
 意図的にあるいは深層心理的に、日本を悪く思っている人が「この國」を使うのではないか。
 どちらでもいいこと、特にそれが言葉である場合、変にそれにこだわるのが、ぼくの悪い癖なのかも知れません。
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石破さん、急がないでちょっと遠くを見てください

石破茂 来月3日に内閣改造が迫り、石破幹事長の人事を巡っての話題がしきりです。
 家内は、「わたし、あの人きらい」といいます。どうしてと訊くと、「あの顔、目つきが嫌い」といいます。しかし、政治家の好き嫌いを顔つきで決めてはいけない。
 とはいえ、ぼく自身、石破さんには最初から、ある胡散臭さを感じ続けていました。しかし、今の自民党では、彼は押しも押されぬナンバーツーだと思います。
 その彼に、安倍さんが安全保障法制担当相への就任を依頼したのがことの始まりだったようです。石破さんはこれを固辞し、幹事長を続投したいと表明しました。安倍さんは譲らず、断るなら「無役」という意向も報道されています。まことに困ったことです。この世界が揺れ動いてる大切な時期に党内抗争をやってる場合か、なにを考えてるのだと、思ってしまいます。
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「田原総一郎を疑え!」8月15日のブログを読んで

 田原総一郎さんが、「常識を疑え!」僕の原点となった69年前の終戦のできごと、というブログを書いていらっしゃる。「田原総一朗 公式ブログ」ー>BLOGOS (「公式ブログ」がなぜかアクセス不能になったので転載サイトにリンクを切り替えました)
田原総一郎 「69年前、僕は11歳だった。」そうだが、ぼくは9歳だったから2歳年下、まあ同年といっていいくらいの差だ。その時彼はまだ小学生だったはずだ。たしかぼくは4年生だった。
 蝉時雨の中、「終戦の詔勅」を窓ベリに置かれた真空管ラジオの前に正座して聞いたのだが、その内容を詳しく理解は出来なかったが、大人たちが肩を落としている様子から日本が負けたのだということは分かった。
 田原さんは、少々大げさにこう書く。
「僕は悲しくなって、自分の部屋にこもって泣きに泣いた。海軍に入って、日本のために死ぬという、「夢」がかなえられなくなったからだ。いつの間にか、寝てしまっていたようだ。気がつくと、すっかり暗くなっていた。窓から外を見た僕は、とても驚いた。家々に灯がともっているのである。」
 なんとなく違和感を感じてしまう。ほんとに「泣きに泣いた」のか。敗戦間際まで、海軍に入って日本の為に死ぬなどと考えている少年を、ぼくは同年代として想像することは出来ないのだ。小学校で予科練に入ることが決まっている人は、ぼくの国民学校にも一人・二人はいた。でも、そんな人はとてつもなく成績優秀なばかりでなく、容姿も端麗だった。田原さんのその後の経緯から見て、それほど優秀だったとはどうにも思えない。だから本当とは思えないのだ。
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ポツダム宣言派とサンフランシスコ条約派の相剋

総図解『日本の近現代史』倉山満著 新科目の「近現代史」と読み比べが楽しみ

総図解『日本の近現代史』倉山満著 新科目の「近現代史」と読み比べが楽しみ

 日本も世界も大きな変動の時期にあるようで、我が国はどんどんまともな方向への変化が見られるようになり、日本という國は、まだ終わってはいないのだとも思えてきて、嬉しい限りです。
 朝日新聞はどうしたわけか32年の頬かぶりを続けてきた捏造報道を一部認めざるを得なくなったようですし、文科省は2016年か17年に予定されている指導要領の改訂で、高校での日本史の必修化と「近現代史」という科目の新設を決めたようです。
 現在は世界史が必修で日本史と地理が選択科目となっています。自国の歴史を選択科目にするとは、一体どんな神経なのでしょうか。今回、現在の世界史Aと日本史Aを統合して「近現代史」とするといいます。
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