もう10年以上も昔になろうか。
その時、お昼ご飯を食べながら、『鬼平犯科帳』を見ていた。鬼平が川の袂の料理屋「五鉄」で、密偵たちと「軍鶏鍋」をつついている。
よくあることなのだが、急に軍鶏鍋が食べたくなった。
インター・ネットで探したのだが、軍鶏を売っているところはなかなか見つからなかった。取り寄せ出来るというところは、京都や大津などにあったが、置いているところはなかった。
諦めずに探していると、滋賀県真野のスーパーに置いてあるのを見つけた。大急ぎで家を飛び出し家内と二人京滋バイパスに乗った。
スーパーに着いた時はもう琵琶湖の水面は夕靄に覆われつつあった。
という訳でその夕は、家内と二人軍鶏鍋を楽しんだのだったが、この時お店で聞いたのは、「このお店は後数日でなくなります。だから次からは養鶏場の中の販売所においで下さい」ということだった。
そんな訳で、その養鶏場が町はずれであっても、車でのアクセスが悪くないこともあって、時々訪れるようになった。主人と何となく気が合う感じがしたのだ。
久慈砂鉄「すき焼き鍋」
七輪は家にもあったから必要なかったが、鍋に凝っていい物を持っているつもりだったが、ここで薦められたのは、久慈砂鉄「すき焼き鍋」だった。片手では微動だにしないくらいの重さがある、凄い物だった。早速買って帰って試したがなかなか素晴らしかったので、すぐ後の大学の山小屋パーティに信州まで持参し、すき焼きを楽しんだ。軍鶏肉、鶏肉を電話で注文し、クール宅急便で届けてもらうこともあった。
ある時、田圃の中の養鶏場販売所の地所内で、建物の建築が始まっていた。これが、主人が言っていたレストランかと思い、「タバコの吸える店にしてくださいね」というと、「いろんな人からそういわれてます」と彼は答えた。
こうして出来たのが「穩座」である。名前の由来は最初の頃聞いたような気もするが覚えていない。調べたら平安時代の大パーティは大饗と呼ばれたが、その後の寛いだ歌舞音曲を楽しむ会が穩座なのだそうで、まあ言ってみれば平安時代の宴会の二次会のことなのだろう。
最近では大人気で、遠方から泊まりがけで来る客も多く、土日は来年まで予約が詰まっているという。
今回は、もな嬢が行きたいと言い出したので、ぼくが予約を取った。
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