雪の来た北山は犬一匹の寒さです(1996.12.1)

なんで山登らへんの 第20回 1996.12.1
体験的やまイズムのすすめ

 いまやアウトドアブーム、中高年がRV車を駆って野山に向かう。また空前のペットブームのようで、ぼくの家の近くには、ペットの巨大なスーパーマーケットができています。
 RV車には大型犬を乗せて走るのがかっこいい。
 誰に聞いたかは忘れましたが、大型犬はいまやステータスシンボルなのだそうです。どうしてかというと、大きな家に住んでいないと大型犬は飼えないとみんな思っている。本当はそんなことはないのですが……。
 テレビにも犬の躾をテーマとしたものがそこここで取り上げられるようになってきたようです。これは明らかに大型犬のブームと関係があると思うのです。
 躾がされず訓練が入っていなくても、小型犬ならなんとかなるでしょう。でも30kgを超える大型犬はそうはいきません。勝手に走り出したら引きずり倒されてしまいます。飛びつかれたら突き倒されてしまう。
 少し場所を移動させるのだって、大型犬は押したくらいではびくともしません。どうしても、口で言って自分で動いてもらうしかないわけです。
 何時だったか、浜松の有名な犬の泊まれるペンションでのことです。ある若夫婦がラブラドール・レトリーバーを連れてやってきたのですが、その犬は、がんとして二階に上がることを拒否し、どうしようもなくて二人は、前と後ろを抱えて運び上げていきました。
 そういうわけで、躾が必要となるのですが、ここで、極めて日本的な形で犬の学校が登場します。つまり、本来家庭でやるべき事を学校に押しつけているのが日本だからです。
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ベニスの片隅で蘇る、ずっと昔の気持ち(1996.11.1)

なんで山登らへんの 第19回 1996.11.1
体験的やまイズムのすすめ

 ヨーロッパから帰ってきてすぐ、ぼくはBMWのバイクを買いました。
 オランダのフリーウェイを、レンタルしたBMWのK75RTというバイクで走って、そのすばらしさに心底感動したからです。
 ぼくのZZR1100というカワサキのバイクだと、180キロほどもスピードが出ると、もう大変。激しい風にヘルメットは突き動かされ、必死に首の筋肉をかためるかカウリングの内側に突っ伏さないといけません。スピードメーターを見る余裕もないくらいになります。いくらメーターが320キロまで切ってあるとはいえ、それはほとんど飾りとしか思えません。
 ところが、この古い型のナナハンBMは、180キロを越えても首の周りはまるでそよ風、馬に乗った様な姿勢のまま実に悠然としたドライビングが出来るのでした。
 R1100Rというネイキッド(カウリングのない)BMWに乗ったナオトが、「やっぱりBMはちゃいますなあ」と感心しています。
 ずっと昔に試乗したBMWのバイクはこういう感じではありませんでした。「なんといってもやっぱりバイクは日本製」と勝手に思いこんでいた自分の不明を恥じる思いだったのです。
 その夜のバーベキューの椅子で、
 「日本に帰ったらBMWを買おうと思うんだ」というと、パベルは我が意を得たりという感じで、
 「ぼくは、きっといつか君がBMWのバイクを買うことになると確信していたよ」といいました。
 そばの奥さんが、「おとうさん、お金はどうするの」と尋ね、ぼくは思わず返答に窮したのです。
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剱岳源治郎尾根Ⅰ峰の夏、還暦ヨーロッパの夏(1996.10.1)

なんで山登らへんの 第18回 1996.10.1
体験的やまイズムのすすめ

 いまから数えてもう十数年も前のことになりますか。そのころ急に右腕が上がらなくなりました。腕を上げようとすると肩に激しい痛みが走ります。
 バイクで走っていて、ピースサインの対向車にVサイン、「アイター」とバイクがよろけ、こけそうになる。
 「どうやら四十肩らしい」と言うと、「五十に近いのだから五十肩でしょう」といわれたものでした。
 この五十肩、医者にいっても針灸に通ってもなかなか治りません。もう岩登りもできんのかな、と思い始めた頃から快方に向かい始めたようでした。
 ちょうどそのころの夏の終わり、剱沢から電話が入り、「ぼく暇になりましたし……」。
 教え子で京大山岳部員のタケダ君からで、
「よっしゃ分かった」とぼくは二つ返事で、
「テント張って待っててくれ」とザックに一升瓶2本とつまみを詰め込むと汽車に飛び乗ったのでした。
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ぼくが望む死のデザイン(1996.9.1)

なんで山登らへんの 第17回 1996.9.1
体験的やまイズムのすすめ


 朝起きて人は朝刊を読む。でもぼくの場合、寝る前に朝刊を読むのが常です。
 決してすがすがしい気分でもなく、なかばボーとして、ぺらぺらとぺージを繰りながら、タイトルを見てゆくという感じです。昔からの習慣のせいかスポーツ欄はまず見ません。
 不思議なことにこのごろは、昔はおもしろくもなんともなかった一面に面白いタイトルが並んでいると思うことが多いのです。
 さきごろのリヨンサミットの時などは、日本の首相もようやく平常の構えで振舞えるようになったと、そのパフォーマンスのような写真を見ながらうれしく思ったのです。これまでの首相は、みんなまるで中国の高官のように、やけに構えてこわばった笑顔あるいは変に尊大な態度などが多いように思っていたからです。
 もっとも、あまりに明るすぎるのか、深刻な表情の他国の首相と対照的で、いまの世界が直面している大変な状況の理解が、もしかしてちょっと少ないのではないかしらと、ほんの少々心配になったのですが……。
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日本人が失ったもの、それは自己責任やないか(1996.8.1)

<高田直樹ウェッブサイトへようこそ>と同時掲載
なんで山登らへんの 第16回 1996.8.1
体験的やまイズムのすすめ

 外国にしばらく滞在して、日本に帰ってくると、普段は何ともないことが、やたら気になったりする。
 ヨーロッパから帰ってきて、気になるのが町中に林立する電柱と、クモの巣のように走る電線。
 いつだったか、パキスタンから帰ってきてすぐの頃のことです。京都の町なかの細い路地から空を見上げたとき、その電線の絡み具合が、ラホールのオールドシティのスラムの路地の電線を彷彿とさせるものだったので、驚くと共に何となくめげたのでした。電柱にしても、日本の細い道を車で走りながら、この電柱がなかったらどんなにスムーズに走れるだろうといつも思うのです。
 ヨーロッパでは、ふつう、駅に改札がありません。チケットは車掌がチエックする。
 町なかの市電や市バスなどでは、乗車券はだいたい自己申告で勝手に支払う。もちろん抜き打ちの検札があるようですが、でもあんまりただ乗りをする人もいないようです。
 もし日本で同じシステムにしたら―まず絶対にそうならないでしょうが―みんな平気でただ乗りをするかも知れません。
 日本でも無人のシステムとしては、産地のみかん販売所などがあるけれど、意外にほとんどの人は正直にお金を払っているようです。
 ミカンを取って、お金を払わなかったら泥棒。でも身体の移動というだけの形にならないものには、お金を払わなくても平気ということなのでしょうか。形のあるものにはお金を払うけれど、形のないものにはお金を払う気にならない。
 日本の都市では、この頃になってようやくヨーロッパのようにパントマイムやフォークソングなどの大道芸で、お金を集める外人がちらほらと見られるようになりました。観察しているとずっと見ていてお金は投げ入れない人がほとんどです。
 ただ食いはいけないけれどただ見は許されるということなのでしょうか。
 食べた分だけのお金を払わないといけないように、見た分聞いた分だけのお金も払うべきだというのが世界の常識。ただ、それに価値を認めなかったら払う必要はないのです。
 物にしか値段の付けられない日本人は、チップに関しても、それが習慣とかマナー・儀礼のように思ってしまう。それが、自分が受けたサービスの質を自分自身が判断評価して支払うもの、あるいは一種の評価システムであるというような理解などまるで無く、至る所でお札をふりまき、馬鹿にされ、ぼったくられる存在となる。
 ここでぼくが述べていることは、日本人のソフトウェア音痴ということなのでしょうか。
 目に見えない物を、お金に換算する能力、あるいはそうした価値判断の基準となる個人としての自己がない。
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『スリー・カップス・オブ・ティ』の大嘘

Three Cups of Tea 教え子のトオル君が「Three Cups of Tea 読みましたか。ぜひ読んで下さい」と言って来た。
 早速アマゾンに注文した。英語の原文のものしかないと思っていたのだが、翻訳本の「スリー・カップス・オブ・ティー」があった。<読み始めたら止まらない。全米400万部突破!>と勇ましい文句の帯が付いている。
 
 読み始めて直ぐに、なんとも言えぬ違和感を抱いて、読み進む気が失せてしまった。なにが「読み始めたら止まらない」じゃ。「読み始めて直ぐに放り投げる」ではないか。
 ぼくの抱いた違和感はなんであったのか。この本、どうも嘘くさいのだ。
 ぼくは、1975年と1979年の2回、スカルドからブラルド河を遡ってビアフォー氷河に入っている。1975年はラトックⅡを目指し、1979年はラトックⅠを目指した。いづれもブラルド河最奥の部落アスコーレをでて、左折れしてビアフォー氷河に入る。どちらも7000メートル級の未踏峰だったが、ラトックⅡは失敗、ラトックⅠは成功した。このラトックⅠ峰、この時の初登以来いまに至るまで登ったものはいない。つまり第二登はない。
 
 これらの山は、ビアフォー氷河の途中で一泊するだけで、ラトックⅡやラトックⅠのベースキャンプに着く。ところが、K2に向かうには、左折せず真っすぐにバルトロ氷河を遡ること約8日のキャラバンが必要である。
 この氷河の道は、大きく開けていて、両岸に聳える高峰を眺めながらのキャラバンでバルトロ街道とも呼ばれる。
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エミレイツ機内での出来事

 エミレイツ航空は、一度乗ってみたいヒコーキだった。
 今回、パキスタン行きに際してこのエミレーツを選ぶことにした。
 昔は、もっぱらPIAだったが、そのころのPIAは北京で給油の為に停まり、でも空港に入ることは出来ず、もっぱら機内で時間待ちの長い時間を過ごさねばならなかった。
 つぎには、タイ・エアーに乗ることが多くなった。お酒がふんだんに飲めるタイ・エアは、大いに気に入った。たとえばJALでは、追加のお酒のサーブする乗務員は、開栓した瓶を持って通行するが、気がついた時には通り過ぎていて、おかわりの要求は出来ないことが多い。しかしタイエアーでは、後ろ向きになってゆっくり歩く。大いに気に入り、タイエアばかりになった。
 この場合、行き帰りともバンコックで最低一泊は必要だったけれど、タイでの泊まりは、行きは心の準備帰りは休養とおおいに有効な時間を過ごすことができたのは良かった。
 エミレイツ航空は、ドバイを経由するけれど、待ち時間も適度であるし、出発が夜、到着が日中というのは都合がいい感じである。
 
 ぼくと岩橋は、MKのシャトルバスで関空に向かった。
 空港で1時間ほど待つと、チェックインが始まった。エミレーツの手荷物重量制限は30kgで、他社では20とか22kgとなっている中でこれはありがたい。
 ぼくはいつものコンプレに赤系のタイにボルサリーノの紺のソフト帽といういでたちでチェックイン。こういう格好だと、エマージェンシー・ドアサイドのいい席のリクエストがすんなりと通るようなのだ。
 エマージェンシー・ドアサイドに座る乗客は、緊急の場合脱出の補助を義務づけられるから、かつての一時期は英文を読まされる英語のテストがあったりしたが、いまはそんなものはなくなったようだ。
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守銭奴の国の行く末

 少し前、スティーブ・ジョブスが亡くなって、マッキントッシュのことを書きました。
 それで、むかしコンピュータの雑誌に『パソコンおりおり草』というタイトルでエッセイを連載していたことを思い出し、<高田直樹ウェブサイトににようこそ>にこれを、載せることを思い立ったわけです。
 ふた昔以上も前のコンピュータに関する記事はノスタルジーもあって、興味を持って読んでくださった方も多かったようです。なかには、これは一種の文化遺産ですよなどという人もありました。
 この28回の連載が終わると、調子に乗ってしまった僕は、すぐにつづけて、単行本にならなかった山渓の連載『なんで山登らへんの』アップすることにしたのです。
 
 この15・6年前の『なんで山登らへんの』、けっこう雑な推敲を経ていない駄作だと、その当時は思っていたのですが、今改めて読んでみると、その内容が結構面白いのです。その当時はあまり理解されなかったようなのですが、今になってみると、なにか予言めいたことが多く書いてあったことが分かります。
 このシリーズも今10回まで来ているのですが、この1956年2月号の「守銭奴の国の行く末を担うのは、誰や」という項は、手前勝手的になかなか面白いと思いました。
 なので、ここに転載することにした訳です。
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橋下圧勝?

 先週の土・日、恒例の「北山パーティー」があった。
 これは、もう30数年続いているもので、テント張りのアウトドアで美味しいものを食べ飲んで、夜っぴて語り明かすという会だ。始めの頃は、北山の山菜を食べる会から始まったのだが、直ぐに冬の猪肉・ぼたん鍋が加わって、年二回に拡張した。
 さらに、山菜の採集が難しくなったので、春のメニューがステーキになった。
 ひところは、日本中からの参加があって50人を超えるまとまりのつかないパーティになったこともあったが、最近ではほどんど近しい者ばかりの落ち着いたグルメ会となっている。

 一夜明けた昼の談笑で話題となったのは、大阪ダブル選挙だった。
 その日の夜には結果が分かる。ほとんどが橋下勝利を予想していた。ただひとり、ぼくのザイル仲間で一緒に冬の劔岳G1リッジを初登したスミさんだけは、異を唱えていた。彼は永年大阪府庁に勤務していたからそうした情報が周りから入っていたのだろう。
 「あんなネガティブキャンペーンをやるようでは、ゼッタイ勝てん」と、最初の頃からぼくは唱えていた。橋下は賢いから無視するだろうと。
 しかし、これはTVで見たのだが、「おやじがヤクザぁ。結構毛だらけ」と、街宣車の上で橋下は叫んでいた。大阪人の心をとらえる居直りだった。「ほんでなんやねん」という訳である。
 文化的にひだ深く底が深い関西人にあんな単純なキャンペーンは通用しない。関西と関東ではその文化が異なる。だからだろうが、「仕置き人」シリーズは関東ではぜんぜん受けないそうだ。
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<パソコンおりおり草>のデジタル化

 先頃、スティーブ・ジョブスが亡くなって、マックのことをことを書きました。
 でも、本当に書きたかったのは、ぼくとマックとの長い関わりのこと。そして、そのもっと前のNECのPC-9801のことでした。
 とりあえず、イントロのつもりで「Macを創った人たち」を書きました。
 それで、98やらマックのことを思い返していたら、かつて『Oh! PC』というコンピュータ雑誌に<パソコンおりおり草>と題するエッセイを連載していたことを思い出しました。調べると、それは1991年~1992年のことで、まさにひと昔、いやふた昔まえのことだった。
 これを[高田直樹ウェブサイトへようこそ]に載せておいたら、好きな箇所を取り込めるし、リンクも張れるではないか。そんなことで始めた<パソコンおりおり草>のデジタル化だったのですが、この28回の連載もようやく終了しました。
 
 昔に比べれば、スキャナーもOCRソフトもえらく進歩していて、デジタル化は比較的簡単でした。しかし活字の組み方が、他の普通の雑誌と違って、縦書きではなく横書きの3列組みになっていました。
 大変に改行が多い。この改行を取らないといけないことになります。ひとつの文章に10個も20個もの改行があるわけで、うまい具合に改行コードを取ってくれるエディターはないものかと探しました。
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