日本の乃木さんが凱旋する・・・子供のしりとり歌

日本の

乃木さんが凱旋す

すずめ

めじろ

ロシヤ

野蛮國

クロポトキン

キン玉

負けて逃げるはちゃんちゃん坊

棒で叩くは犬殺し

シベリア鉄道なぁがいなぁ

鍋のケツ真っ黒け

けつの穴深いなぁ

鍋のケツ深いなぁ

とループになり終わります。

これも前稿と同じように突然蘇ってきた子供の頃に唱えていたしりとり歌です。似たようなものは日本中にゴマンとあったのでしょうが、そのすべては今日では問題となるような箇所を含んでいるためネットに上がることがないように思われます。
ぼくが小学校の時代とは世の中至る所であらゆる意味で差別意識が普通だったように思います。ぼくが育った園部の田舎には、夏休みなどに帰ってそこで過ごすのが常でした。そこにはぼくと同年の小学生がいて、仲良しでした。でも祖母のマサエばあさんは、ぼくが彼と遊ぶこをよしとせず、家に入れようとはしませんでした。家の格が違うから一緒してはいけないというのです。
ぼくはだから内緒でいつも一緒に遊んでいたのです。

このしりとり歌について少々考察すると、乃木将軍の凱旋ですから日露戦争のあとで、ロシアを野蛮國と貶めています。クロポトキンはよく知られた無政府主義者で共産主義者とも考えられ、日本国にとって最も望ましくない人物でした。
ちゃんちゃん坊とは当時はちゃんころとも言われた中国人のことです。こうした子供が歌って遊ぶしりとり歌にも、当時の教育思想が結構緻密に盛り込まれていたことが見て取れるようです。

「ラクダガ イッピキ タッテマス」

ラクダガ イッピキ タッテマス。

トオイ オソラヲ ミテイマス。

ウマレタ オクニガ コイシイカ。

ソレトモ オナカガ スイタノカ。

これは、子供の頃読んでいた絵本の一節です。
最近、突然、なんの脈絡もなくこんな具合にある文章が頭に浮かんでくることがよくあるようになりました。
絵本が大好きだったので、亀岡近くの女学校の先生をしていたマサコおばさんは、家に帰ってくるたびに本を買ってきてくれました。買えなかった時にそっとすでにある本を渡して誤魔化そうとしても、ぼくはすぐに気づいてしまったそうです。たくさんある本のほとんど全てを誦じられるくらいにぼく何度も読み返していたのです。孤独なぼくにとって、絵本は唯一無二の友達みたいなものでした。

小学校に入り、祖父母の元を離れてからも、夏休みで田舎に帰ると土蔵の二階に篭りきりで、父や叔父の少年雑誌、冒険小説などに熱中していました。蔵には叔母たちの雑誌『家の光』や『お産全科』などというもあり、少し早熟な少年の好奇心を満たしてくれたのでした。
そんなわけで、ぼくの女性の身体に関する知識はかなり豊富で、中学ではなにか分からないことがあったりすると、「タカダに聞こう」ということになっていたようでした。
それと、もう一つの効果は漢字にとても強くなったことです。特に漢字を読むことに関しては誰にも負けないくらいでした。当時の本には全部ルビが振ってあったから自然とそうなったようです。

高校では漢文が得意だったのは、漢字が読めたからというわけではなく、漢字というものにある親しみを覚えていたからだと思います。漢文のおじいさんの先生は、テストを点数のいいものから順に返すのが習慣でした。ぼくはいつも最初に呼ばれました。
ある時、いつものように呼ばれないので、変だなと思っていると「今日は悪い点の人から返してます」先生はそいう言いました。
漢文だけではなく古文や現代文も得意だったかというと、そうではなく、むしろ不得意で苦手だと思っていました。自由作文の課題で、田舎で過ごした幼児体験を書いたら、大きな赤字で「平凡」と書かれ、これには、ぼくのプライドは大きく傷つきました。
物を書いてお金をもらうようになっても、いつも「平凡なのではないか」と、これは一つのトラウマのようになってしまったようです。
考えてみれば、あの国語の先生はこのブログも「平凡」と評するかもしれない。でももうそれは、そんなに気になりません。きっと歳をとって少々ボケてきたからかもしれない。そんな気もします。

とんでもなく本好きだった少年は歳をとっても変わらず、常に一冊の本を携行していないと落ち着かない。ぼうはそういう状態でした。ところが近年どうも様子が変わってきたようなんです。本を読むのが少々億劫になってきたのです。これい明らかに老化現象です。
歳をとったのだから当然で、まあ致し方のないこことだと思っています。
読むのと同じように書くのも・・・。
これは困る。気張って書き続けんと。そう思っているところです。